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2017.02.16

今週の『カルテット』もむちゃむちゃ面白かった。
高橋一生が前話でトイレのスリッパを履いたこと以上に、満島ひかりがぐちゃぐちゃにした楽譜を床に叩きつけようとしたのを止めることで、更に成長を感じさせるシーンにグッときたり(前話ではバイオリンを床に叩きつける側だった)、放送日のバレンタインデーに重なる「アリガトーショコラ」というギャグもどこか優しい響きに感じたり、後半の松たか子満島ひかりと吉岡里穂の三つ巴のヒリヒリとしたシーンにおける吉岡里帆の欺瞞をどんどん丸裸にしようとする様が『ダークナイト』のジョーカーの様でもあり、今回も見所が非常に多い回だったのだけれども、なんと言っても宮藤官九郎が出演していたことに非常に驚いた。
以前も書いたけれど、僕が観るドラマの三大要素が坂元裕二宮藤官九郎の脚本、もしくは満島ひかり出演のどれかなのだけれども、ある意味全員揃ってしまったような感覚があり、とにかくこのドラマはツボを刺激してくる。
 
そして、先日のグラミー賞Beyonceのパフォーマンスは圧巻だった。
数年前のDaft Punkの祝祭感に満ちたあの瞬間、去年のKendrick Lamarの様なシリアスでメッセージ性も強く凄みに満ちたあの瞬間ともまた違った、神秘と母性に満ちた素晴らしいパフォーマンスだった。
母と娘、そして双子が宿っているBeyonceの並びはとてつもなく神々しい。
そして主要4部門はAdeleとBeyonceの二強と言われていたものの、 蓋を開けてみればBeyonceの受賞はならなかったけれど、YouTubeがある今、記録に残るAdeleに対して記憶に残るBeyonceだと考えれば、実に今のグラミー賞らしい結果なのかもしれない(去年の強烈なKendrick Lamarのパフォーマンスに対し、記録に残るのはTaylor Swiftだ。どちらも大好きだけど笑)。
とは言え、Chance The Rapperが最優秀新人賞を受賞したことはちょっとしたサプライズだった。
彼はこれまでアルバムをリリースしていないだけではなく(ミックステープ扱い)、CDやレコードで正式なフィジカルリリースも行なっていない。
彼の作品はSpotifyApple Musicらのストリーミングサービスでももちろん聴けるが、Googleで彼の名前を検索すればフリーでダウンロードすることもできる。
ビルボードチャートがストリーミング再生も考慮する様になったことも大きいが、彼のメジャー/インディー、ジャンル、政治的立ち位置等、どんなシーンにおいても架け橋になろうとする姿勢がここまで評価されたと考えると、非常に希望を感じてしまうのは僕だけだろうか。
 
例えば10年前のことを振り返るとRadioheadが『In Rainbows』をリリースした年だ。
この作品はその内容以上にリリース方法が話題になり、「It’s up to you」と書かれたサイトにアクセスすれば、投げ銭方式でアルバムをダウンロードすることが出来た(つまり0円と打ち込めばフリーでダウンロードすることもできた)。
しかし、決してそのリリース方法に肯定的な意見だけでもなかった。
当時、この方法は大物しか通用しないのではないかといったことや、PCを持っていない人を切り捨てる行為ではないかという批判めいた言葉もあった。
My SpaceがきっかけとなりArctic Monkeysが話題になり、YouTubeが登場し(この辺りは2006年)、初代のiPhoneがリリースされた直後のことだ。
そんなことを振り返ると、Chance The Rapperの受賞は大きなターニングポイントの様な気がする。
ここ数年グラミー賞の存在感、特にパフォーマンスにおいて見逃せないものが増えてきている中、賞レース自体は保守的な部分がクローズアップされることが少なくないが、とは言えオーバーグラウンドのポップミュージックが最も先鋭的な音楽になっていた2016年とグラミー賞との架け橋となるのもまたChance The Rapperなのかもしれない。

2017.02.12

去年は映画『シングストリート』とNetflixのドラマ『ストレンジャーシングス』(スティーヴンスピルバーグ×スティーヴンキングの様なSFジュブナイルドラマの大傑作!)、そして西寺郷太著の『ジャネットジャクソンと80’sディーバたち』で80年代カルチャーの洗礼を受けた年だった。
正直な所、80年代のメインストリームのカルチャーは、音楽やファッションにしても、どこか異質で違和感があり苦手意識があり、00年代以降の再評価でしか接してこなかったのだけれど、上記の作品でもってその本来の魅力にやられた様な感覚がある。
 
具体的に言えば『ストレンジャーシングス』(音楽の扱いも凄く良く、『シングストリート』のようにお兄ちゃんが音楽を教えてくれるシーンもある。The Clashを聴きながら、Joy Divisionや、David Bowie、Television、The Smithsの入ったミックステープを譲るシーンなんて落涙もの)の元ネタとなる様な『未知との遭遇』や『E.T.』といったスピルバーグ作品や、『グーニーズ』や『スタンドバイミー』といったジュブナイル映画を時代性を意識しながら一気に観直すことで、アメリカンニューシネマ以降のポップで明るい質感もたまらなく愛おしくなった。
更に『文科系のためのヒップホップ入門』以降とも言えるHIP HOPの歴史を振り返るコミック『ヒップホップ家系図』や、Netflix配信の『ゲットダウン』や『ヒップホップジェネレーション』と同時に、『ジャネットジャクソンと80’sディーバたち』(他にも同著『マイケルジャクソン』や『ウィーアーザワールドの呪い』、『プリンス論』も読むことで更に80年代ポップスを深掘りすることができる)を読み、TBSラジオ『ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル』で言う所の80年代ポップス源平合戦を疑似体験することで、その本質がわかった様な気がする。
例えば『ウィーアーザワールドの呪い』と『ジャネットジャクソンと80’sディーバたち』を読むと、85年と86年は大きなターニングポイントになっており、MTVを起爆材とする80年代ポップスの集大成としての「We Are The World」が85年にあり、翌年になるとJanet Jacksonの『Control』を分岐点として(これ以降クォンタイズされたビートがポップミュージックに一気にインフルエンスしていく)、HIP HOPがメインストリームに一気に流れ込んでいき、それまでのポップススターシステムが少しずつ崩れていく様が鮮明に描かれている。
 
その流れを踏まえつつOasisのドキュメンタリーの予習がてら、マンチェスターのクラブハシエンダを中心とする『24アワーパーティピープル』や、アランマッギー率いるインディーレーベルクリエイションを描いた『アップサイドダウン』を観直すことで、80年代のマンチェスターとクリエイション周辺の格好良さと面白さを更に思い知らされ、パンクやニューウェイヴとの繋がりを見直すことができたと共に、その同じ時代を舞台にしている『シングストリート』が更に切なく愛おしくなる(アメリカンニューシネマがそうであった様に、主人公の彼は映画のエンディングの後も理想と現実のギャップに苦しむのかもしれない)。
そういえば、タマフルの80年代ポップス源平合戦の際、西寺郷太が80年代ポップスの始まりをウォークマンが発売された79年の7月、終わりをSoul Ⅱ Soulの『Keep On Movin'』リリースされた89年の3月と定義していて、色々と腑に落ちることがあった。
この定義に当てはめると、The Clashの『London Colling』が本国では79年12月リリースであるのにも関わらずローリングストーン誌が80年代最高のアルバムに選んだ違和感も無くなるし、どう考えても90年代的なStone RosesNirvanaのデビューアルバムが89年の5月と6月にリリースされていることにも妙に納得させられる(ちなみにFlipper’s Guitarのデビューアルバムも89年の8月だ)。
 
所で、明日はグラミー賞の発表がある。
80年代を飛び越え91年以来のポップミュージックの当たり年と言われた2016年の音楽が激動のアメリカにおいてどの様な振り返りがなされるか、今までは誰に授与されるかよりもパフォーマンスの方が興味があったのだけれども、今年は例年とは比べものにならない位にすごく楽しみだ。

2017.02.09

ティーンムービーとしては『ちはやふる上の句/下の句』、『溺れるナイフ』以来の話題になっていた『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』を観た。
先述した2作品が傑作であったことから、それまではあまり積極的に観ていなかったティーンムービーも、最近は偏見なく観てみようという気持ちがある。
京都をメインのロケ地にしているため、関西に住んでいる僕にとっても馴染みの風景も多く、京都を散策している様でそれだけでも楽しかったが(京都みなみ会館という関西の映画好きにとってはなくてはならない映画館も出てくる)、だがしかし、この映画の恐ろしいのは2015年1月号のガールフレンド特集のPOPEYE、そしてNever Young Beachの『お別れの歌』のMVに続く、小松菜奈との擬似デート作品でもあるのだ。

youtu.be

この三発を喰らって小松菜奈に屈しない男子なんているのでしょうか?笑
『乾き。』の鮮烈なデビュー以来(あの映画には賛否両論あるかと思いますが笑)、dビデオのCMや『溺れるナイフ』での神秘的佇まいだけでも大変魅力的であるのに、こんな風にキュートな部分までも見せ付けられるのであれば、屈せずにはいられないのである笑
それにしても、新進気鋭の山戸結希から巨匠マーティンスコセッシまで最近の出演作の凄みはちょっと異常で、「今夜はブギーバック」のカバーに乗せて東京のカルチャーを振り返るTOKYO CULTURE STORYにも選ばれ、まさに時代の寵児なのだと思わされる。
火曜日は『カルテット』第4話を観た。
高橋一生演じるキャラクターがまるで瑛太が演じるそれみたいだと思っていたら、その後出てきた高橋メアリージュン尾野真千子みたいで、『最高の離婚』のあの2人の間に子供がいたらというアナザーストーリーを思い浮かべながら鑑賞。
1話目以来のサスペンス色の強い後半も、素晴らしいクリフハンガーとなっており(黒沢清監督作の映画のキャラクターの様な絶妙な不気味さの吉岡里帆もすごく良かった)、次回で第1章完結ということで、更にみぞみぞするのであーる。
そういえば、公式ツイッターによる情報では、第1話のカラオケ店のシーンの撮影の際、松田龍平高橋一生が2人してカラオケルームでゆらゆら帝国の「空洞です」を熱唱していたらしい。
ドーナツのモチーフとしたドラマに欠かせない空洞、実に完璧な選曲であると共に、第3話における安藤サクラのナレーションと共に、やはり『愛のむきだし』を想起させる。

youtu.be

 

『カルテット』と言えば、配信が始まった「おとなの掟」をよく聴いている。

そして作曲者でもある椎名林檎のことを考える。
昨年出版された宇野維正著『1998年の宇多田ヒカル』を読んで以来、ポスト渋谷系としての98年を考えているのだけれど、渋谷系が東京を中心とするものだったことに対するカウンターが98年の音楽に繋がっているのではないかと思う。
新宿系と自らを称し、「歌舞伎町の女王」となる椎名林檎は福岡出身で(ちなみに新宿歌舞伎町の住人を売り文句にしていたジャズミュージシャン菊地成孔も千葉出身だ。そのレトロ感覚や優雅さにおいてどこか接点を覚える)、他の歌姫ブームに括られるaikoは大阪、MISIAは長崎、浜崎あゆみは福岡出身で、極め付けは帰国子女である宇多田ヒカルだ。
バンドを振り返っても、所謂98年の世代と言われるスーパーカーは青森、くるりは京都、ナンバーガールは福岡出身なのである(そういう意味ではサニーデイサービスはそういった流れの先陣を切っていたのかもしれない)。
そして椎名林檎が組むこととなる東京事変のメンバーにも東京出身がいないことも実に象徴的なことだと思う(実に都会的な存在の浮雲も千葉出身、亀田誠治に至ってはニューヨーク生まれの帰国子女なのだ)。
そんな椎名林檎が近年はW杯のテーマソングに起用されたり、オリンピックの閉会式をプロデュースしたり、『SMAP×SMAP』の最後のゲストにタモリと共に選ばれたり、東京オリンピックを控えた今のメインストリームど真ん中にいる様に感じるのは非常に感慨深い。
 
そんなことからもTOKYO CULTURE STORYにも選ばれた横浜出身のSuchmosのYONCEにむちゃむちゃ期待しちゃうのもどこか繋がっているのかもしれない。