2017.02.12

去年は映画『シングストリート』とNetflixのドラマ『ストレンジャーシングス』(スティーヴンスピルバーグ×スティーヴンキングの様なSFジュブナイルドラマの大傑作!)、そして西寺郷太著の『ジャネットジャクソンと80’sディーバたち』で80年代カルチャーの洗礼を受けた年だった。
正直な所、80年代のメインストリームのカルチャーは、音楽やファッションにしても、どこか異質で違和感があり苦手意識があり、00年代以降の再評価でしか接してこなかったのだけれど、上記の作品でもってその本来の魅力にやられた様な感覚がある。
 
具体的に言えば『ストレンジャーシングス』(音楽の扱いも凄く良く、『シングストリート』のようにお兄ちゃんが音楽を教えてくれるシーンもある。The Clashを聴きながら、Joy Divisionや、David Bowie、Television、The Smithsの入ったミックステープを譲るシーンなんて落涙もの)の元ネタとなる様な『未知との遭遇』や『E.T.』といったスピルバーグ作品や、『グーニーズ』や『スタンドバイミー』といったジュブナイル映画を時代性を意識しながら一気に観直すことで、アメリカンニューシネマ以降のポップで明るい質感もたまらなく愛おしくなった。
更に『文科系のためのヒップホップ入門』以降とも言えるHIP HOPの歴史を振り返るコミック『ヒップホップ家系図』や、Netflix配信の『ゲットダウン』や『ヒップホップジェネレーション』と同時に、『ジャネットジャクソンと80’sディーバたち』(他にも同著『マイケルジャクソン』や『ウィーアーザワールドの呪い』、『プリンス論』も読むことで更に80年代ポップスを深掘りすることができる)を読み、TBSラジオ『ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル』で言う所の80年代ポップス源平合戦を疑似体験することで、その本質がわかった様な気がする。
例えば『ウィーアーザワールドの呪い』と『ジャネットジャクソンと80’sディーバたち』を読むと、85年と86年は大きなターニングポイントになっており、MTVを起爆材とする80年代ポップスの集大成としての「We Are The World」が85年にあり、翌年になるとJanet Jacksonの『Control』を分岐点として(これ以降クォンタイズされたビートがポップミュージックに一気にインフルエンスしていく)、HIP HOPがメインストリームに一気に流れ込んでいき、それまでのポップススターシステムが少しずつ崩れていく様が鮮明に描かれている。
 
その流れを踏まえつつOasisのドキュメンタリーの予習がてら、マンチェスターのクラブハシエンダを中心とする『24アワーパーティピープル』や、アランマッギー率いるインディーレーベルクリエイションを描いた『アップサイドダウン』を観直すことで、80年代のマンチェスターとクリエイション周辺の格好良さと面白さを更に思い知らされ、パンクやニューウェイヴとの繋がりを見直すことができたと共に、その同じ時代を舞台にしている『シングストリート』が更に切なく愛おしくなる(アメリカンニューシネマがそうであった様に、主人公の彼は映画のエンディングの後も理想と現実のギャップに苦しむのかもしれない)。
そういえば、タマフルの80年代ポップス源平合戦の際、西寺郷太が80年代ポップスの始まりをウォークマンが発売された79年の7月、終わりをSoul Ⅱ Soulの『Keep On Movin'』リリースされた89年の3月と定義していて、色々と腑に落ちることがあった。
この定義に当てはめると、The Clashの『London Colling』が本国では79年12月リリースであるのにも関わらずローリングストーン誌が80年代最高のアルバムに選んだ違和感も無くなるし、どう考えても90年代的なStone RosesNirvanaのデビューアルバムが89年の5月と6月にリリースされていることにも妙に納得させられる(ちなみにFlipper’s Guitarのデビューアルバムも89年の8月だ)。
 
所で、明日はグラミー賞の発表がある。
80年代を飛び越え91年以来のポップミュージックの当たり年と言われた2016年の音楽が激動のアメリカにおいてどの様な振り返りがなされるか、今までは誰に授与されるかよりもパフォーマンスの方が興味があったのだけれども、今年は例年とは比べものにならない位にすごく楽しみだ。